日本におけるクライミングは大学山岳部や社会人山岳会などの組織とともに発展してきたと言える.クライミングには必ずといってよいほど事故や遭難がつきまとう.これが,自然と個人とが対峙するクライミングが組織化を前提として歩んできた最大の理由である.なかには厳格な会則を設け,会への忠誠を強要する山岳会もあったが,山やクライミングへの情熱を求心力としてアクティビティの高い組織が数多く存在し国内のクライミングを支えてきた. ここ20年の間に山岳会を主体とした活動が徐々に変わりつつある.国内,海外の主要なルートが次々に登られ,また,新たに課題が設定されても,いずれは完遂され,山岳地帯でのクライミングは“鉄の時代”へと向かい,その人口は激減していく.一方,乾いたショートルートや人工壁を対象として質の高いクライミングを目指したクライマーが増えていく.安全で取り付き易く,手と足を動かして岩をよじ登ることだけに専念できることがポピュラーになってきた大きな理由だろう.山岳地帯での危険を前提としたクライミングに比べて組織の役割が極端に小さいことが特徴的である.さらに,個人を尊重する時代がこの傾向を増幅させる. 山岳会の勢いがなくなることでクライミングへの入口が狭き門となっていることと,特定の行動に限定したクライマーが多くなっていることは非常に残念である.クライミングに興味を持っていても,どうしても“危険”,“遭難”等の負のイメージがあり容易に取り組めない人がいる.初心者に適切な指導を行いクライミングの世界へと導いてくれる機関が必要である.また,適切にコントロールされた条件下でのクライミングは技術レベルを飛躍的に向上させ,その功績は途方もなく大きいが,自然のなかでもっと楽しめればと思う.地球の大自然を知り得たうえで活動範囲を限定させる理由はない.ショートルートで研き澄まされた技術をもって国内や海外の大自然のなかで季節を問わずクライミングを味わって欲しい.高いクライミングレベルを持ち合わせながらいつものエリアから外に踏み込むのを躊躇している人も多いだろう.このようなクライマーの背中を押すと同時にしっかりサポートする機関が望まれている. 以上述べたような山やクライミングでの非組織化がもたらす問題を鑑みて,自立したクライマーの育成を目的に1999年7月にクライミングスクールを設立した.一部の特殊な人種が行うものではなく市民レベルのスポーツとしてクライミングをとらえ,鷹取山をベースとしてクライミングの基礎を学ぶ場を世に提供する.たとえ1mでも登れなかったところが登れ,文字通り壁を乗り越えたときの充実感,新しいムーブやタクティクスを完成させたときの達成感,このような試みを自然の恵みの中で味わえる幸福感を求めて,クライミング能力の向上を図ると同時に,自分に降りかかる問題を適切に解決していける自立したクライマーの育成をミッションとしている.自立したクライマーを育成することで,動物的本能に基づく欲求を満足させてくれると同時に知的ゲームでもあるクライミングという登山文化を人類の資産として次世代に継承していく.この命題に少しでも貢献することが湘南鷹取クライミングスクールの存在意義である. |
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